中国万事通

「夷を以て夷を制す」の制される側の統治(納西族・木府)~ 麗江 その6

2017/09/02

(木府の入口)

木府~土地の有力者、木さんのお家兼お役所

木府って初めて聞いた。 入場ゲートの立て看板の解説を読む。

木府(Mu’s Residence)

木府は、明の洪武15年(1382年)に建造が始まった。 西は獅子山を横にし、北、東、南の三面は川が流れており、古城を守っている。 場所選びや建物の配置は、風水を参考にしている。

明の大旅行家、徐霞客の『徐霞客遊記』に、「楼閣がそびえたっている」、 「宮殿や部屋の壮麗さは、王宮のそれにも及ぶほどだ」という記述がある。

清の咸豊帝のころ、大部分を兵火によって焼かれてしまったが、後に再建された。 面積は3万平方メートル、南北に伸びる369メートルもの中心線の上に、 議事廰(政治をするところ)、万巻楼(蔵書楼)、護法殿(裁判をするところ)など、 様々な建物が配置されている。

なるほど。つまりはお役所ってことね。 木っていうのが、麗江の有力者の姓! この人もナシ族。

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(ここにも江沢民の揮毫。 観光地で江沢民の名前見るたびに、この人もここに来たんだなあって嬉しくなる)

中に入りまーす。

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(議事廰。廰(てい)は「ホール」の意味)

立て看板の説明に「王宮に近い」と褒められていたけど、 まさにその通り。なんとも広くてデカい!

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オープンな執務室。

中の椅子は虎の毛皮が敷かれており、 手前には東巴文字の石板が段差に埋め込まれている。

有力者である役人が虎の毛皮の椅子に座ってたら、相当迫力あるな。。。

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(万巻楼)

中には、四書五経などの儒教の経典が、現代式の製本で置いてあった。

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議事廰と万巻楼の間に「太湖石」があった。 この太湖石は、蘇州の太湖周辺で取れる石で、 蘇州の庭園群にはふんだんに使われている。

当時の文人たちはところどころ穴が開いたこの石の形を喜び、 自宅や庭に置いて飾っていた。 石灰でできているから、水が岩を侵食して、 この独特な形ができあがるそうだ。

もしこれが本当に太湖産なら、この石を運ぶのに どれだけの労力が必要だっただろう、 何人もの人夫が馬に乗せてかわるがわる運んだのかなあ、 ここまで来るのに川は使ったのだろうか、と昔に思いを馳せるのであった。

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(護法殿)

訴訟を処理するところ。 だんだん奥まってきました。

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道を挟んで向こう側に、玉音楼があります。 コンサートホール兼ダンスホールです。 中はわりと広め。

このホールの裏に、小高い山がありました。 登ってみましょう。

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登ってみると~。

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見晴らしめっちゃいい!

直線状に建物が並ぶ、木府の構造が一目瞭然ですね。 官僚の木さんは、街を一望しながら腹心や政敵と、 この麗江をどうやって治めればいいかを語り合ったのかなあ、なんて考える。

写真を撮影したのは、道教寺院の二階。 しかし、建物の中は撮影禁止だった。

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この廊下も蘇州の庭園でみた構造。 歩き疲れたら、両脇の手すりみたいなところに腰かけて、客人と話をするそう。 丹塗りの色や植物の緑と相まって、ここだけ奈良県の春日大社みたい。 この廊下を通って入口へ戻る。

○木さん家へ家庭訪問

一通り見たし、お腹痛いし帰ろうと思っていたけど、 僕が見てないほうへ団体客が押し寄せていったのを見て、 どうせなら見てみようと、一緒についていきました。

そこは木さんの住居(個人邸宅)でした。 議事廰から、徒歩1分。職場が自宅と同じ敷地内にあるw IMG 4744

(木府内の木さんの邸宅玄関)

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(中庭)

この中庭の周囲四面にお部屋がある。 この庭を南北に貫く形で、通り道がある。 つまり、南北の二部屋は、いつも人が往来する状態で、プライベートのない部屋。 使用人が寝泊まりしていた部屋だそうだ。

図にするとこんな感じ。 庭の左下の矢印が、写真を撮った方向。 中抜きの矢印は、観光の順路。 一番上の奥のところに応接間があった。

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ここは寝室。西洋式の天蓋付きベッドもあこがれるけど、 この伝統中華式のベッドも趣があるね。 左がナシ族のいいところのお嬢さんの嫁入り道具。

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一番奥まった場所にある応接間。 ここには、家族の他は一番重要なお客さんしか通さない。

普段、壺や瓶といった陶器は博物館でしか見ないけど、 本来はこのように生活とともにあるもの。 自分が通された応接間にこのコレクションがあったら、 これだけ集めてこの人すごいな~と思うし、 実際、自分の威光を高めるために飾られてたんだろうな。 親しい人であれば、ここにないものを自分からの贈り物として手土産に渡したいって思うな。

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この応接室で、文人墨客と交流し、漢学を学び、 中原文化(漢族の文化)を取り入れたと説明にある。

入口で文章を紹介されていた明の徐霞客、 四川省成都の状元である楊慎(24歳で状元!)、 詩、書、画にすぐれており、「三絶」と称された担当和尚も この場所を訪れたとのこと。

7月にここに行ったときには、 「漢学?ふ~ん、役人になるには必要だよね」というくらいにしか考えてなかった。 しかし、よく考えると、最後に漢人がここを支配したのは漢代。3世紀ごろが最後。

そのあとは三国志に突入して、辺境にあった麗江は忘れ去られた。 また、チベット系の吐蕃、南詔、大理と時代が下るにつれ、支配者は変わる。 吐蕃はチベット仏教、南詔、大理は大乗仏教だから、この時代の最高の学問は仏教。

大理の後は漢族軽視のモンゴル人王朝、元の支配下。 その後、明がようやくこの地を回復したのが14世紀後半。 実に、1000年がたってようやく、漢人の支配が再開した。

と、ということは、漢学(儒教の経典や詩など)は、 現地の人からすれば、地元に関係のない机上の空論。 キノコをとって生計を立てている人からすれば、 修身を説き、国を治めることを説く儒学は、なんの役にも立たない虚学。

その中でも、木さんはこれを尊んで学び、 麗江を治める役人として立身出世した。 その後も学ぶことをやめず、中原から客人が来れば、 中央の政治の動向や経典の解釈談議に花を咲かせた。

モンゴル人もチベット仏教の信望者だから、 賢い人は仏教を学ぶものだという価値観が一般的だったものと思う。 その中で、新しく支配してきた漢人の学問を学ぶというのは、 後世から見ると、正しい道であり、また抜け目のない選択だったと思う。

こんだけデカい家兼役所に住んでいて、この美しい麗江を治めた木さん一族は、 やっぱり偉大だなぁと思うのでありました。

ところで、こういう場所にくるといつも強く思う。

ああ、タイムスリップできたらなぁ!

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大理石も自然に飾られていてGOOD。

あと、奥さんが傑物だったそう。映画にもなっているらしい。 「姓は禄、名前は阿勒邱。その立ち居振る舞いはナシ族の夫人の模範となり、 一般家庭では、今でも子供にしつけをするときに、 阿勒邱のようにしなさい!と教えられている」とのこと。

奥さんが有能で成功したのは明の太祖朱元璋もだなあ~、 と思いながら、内助の功の大きさを想うのでした。

木府の紹介は以上です! 7回に及ぶ麗江の記事を読んでくださり、ありがとうございました!

次回からは大理に移ります! 明日からまたよろしくお願いします^^

---------------------------- おまけ①

麗江古城の中にあった有名店。 「舌尖上的中国」という人気グルメ番組で紹介されたとのことで、 店内にそのときの映像が繰り返し流れていた。 すでに昼食後だったので、味見できず。めっちゃ並んでた。

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おまけ②

木府の前に勉学を奨励する銅像があった。 暗唱する子供に、水を飲ませるふりをして記念撮影する中国人w

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おまけ③

古城エリアの外にあった市場。でけぇ。 人も多いし物も多い。このあたりは山岳地帯なので、キノコが名産。

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キノコ、笠でっけぇ!!!

麗江編おしまい!


えもん

えもん 大学では文学部に行きたかった都内IT企業のエンジニアです。
Twitter: @koneko_mc