中国万事通

《黄州寒食帖・跋》黄庭堅

2017/11/13

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この記事は友人のFDG氏の寄稿です。

蘇軾の書に対する黄庭堅のコメント

(寒食帖・跋) 東坡此詩似李太白、猶恐太白有未到処。 此書兼顔魯公、楊少師、李西台筆意。試使東坡復為之,未必及此。 他日東坡或見此書,応笑我于無佛処称尊也。

東坡の此の詩は李太白に似て、なお太白の未だ到らざるところあるを恐る。 この書は顔魯公、楊少師、李西台の筆意を兼ねる。 試みに東坡をしてまたこれを為すも、未だ必ずこれに及ばず。 他日、東坡或いはこの書を見れば、まさに我仏無きところに尊を称するを笑うべきなり。 跋は書に対するコメント。蘇軾の書を見て、黄庭堅がコメントを残している。

どちらも当時第一級の文化人だった。一般人のコメントなどはさておき、

蘇軾の《黄州寒食帖》に対して一流の書家であった黄庭堅が

跋を残していることに価値がある。

この跋の中で、黄は、李白すらも蘇東坡の詩には及ばないだろうと言っている。

書については「顔魯公、楊少師、李西台」(*1,*2,*3)ら名家の筆遣いを兼ねていると、これでもかと褒めている。

ご覧の通り、黄庭堅の書も非常に美しい。

当時既に大御所であった黄庭堅が、蘇東坡をこれほど褒めるんだからね。

どんだけ仲良しやねん!

ふたりの関係

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(黄庭堅)

「应笑我于無佛処称尊也」

これは、すこしわかりづらい一文。

「蘇軾師匠のいないところで僭越にも跋を書いちゃったから、もし師匠に見られたら、

佛のいないところで黄がボスになったつもりでいるよ、て笑うだろうなあ。」と言っている。

黄は、宋代四大書法家(蘇軾・黄庭堅・米芾(べいふつ)・蔡襄(さいじょう)の2番目で、蘇軾より9歳だけ下。

黄はいつも蘇を尊敬していて、この文でも蘇が佛だとすれば自分は羅漢(*4)くらいだ、と言って謙遜している。

蘇軾と黄庭堅の書の違い

蘇東坡と黄庭堅はある日、字の話をしてて、蘇が冗談で黄の字は「樹梢挂蛇」(蛇が枝にぶら下がった感じ)だと言い、

自分の書を「石圧蛤蟆」(石に潰されたヒキガエル)だと言って自嘲していたらしい。

蘇東坡のように自分のことを笑えるというのは一つの境地だと思うからやっぱり凄い。

黄はそこまでできなかっただろう。

蘇と黄は人間としての境地の差で1、2位の差が出来たのかな。

小さいようで大きな差かもしれない。

中国では、欧米のように狂人でも芸術は認められるわけじゃない(*5)。

士大夫として古今東西に通じ高い倫理観を有する人間としてまず認められないとダメなんだ。

蘇が20代の時、その名で朝野を震わせていたころの字は、

もっとイケイケどんどんな感じで格好良さと美しさを前面に出していたかもしれない。

一方で寒食帖にある字は石圧蛤蟆体だ。黄の跋の方がカッコいいという人も多い。

黄州寒食帖は、宋の四大書家の二人が字を書いているというのみならず、

一枚の寒食帖に宋代を代表する二大書体「石圧蛤蟆」と「樹梢挂蛇」が見れるんだから、

とても価値がある。

関東大震災の時、菊池晋二(*6)が先祖代々の家宝を捨て、命をかえりみず寒食帖だけを救い出したのも分かる。

FDG氏は京都大学出身。卒論テーマは「泰山と封禅」。
幼少期を中国で過ごし、中国文化に対して深い造詣を持つ人物。 twitterアカウント [@zy\_dragon](https://twitter.com/zy_dragon) > \*1 顔魯公:**顔真卿**。唐代の書家、政治家。「弘法も筆の誤り」の弘法大師**空海**にも影響を与えた。

*2 楊少師:楊凝式。五代の書家。書は顔真卿を学び狂草を得意とした。洛陽の仏寺,道観などに多く書を残した。

*3 李西台:李建中。北宋の書家。書は顔真卿、魏晋時代のものを学んだ。

*4 羅漢:阿羅漢。仏教において、尊敬や施しを受けるに相応しい聖者のこと。原始仏教・部派仏教においては、修行者の到達し得る最高位である。

*5 :近代ヨーロッパには、退廃的な『悪の華』を記したボードレール、反道徳的な内容の本を記してサディストの語源となったマルキ・ド・サドなど、その文章が道徳や倫理に反する内容であっても、文学的に価値があれば作家も作品も評価される土壌があった。また、中世ヨーロッパにも泥棒詩人と呼ばれたヴィヨンという作家がいる。 個人的な意見だが、借金まみれであった太宰治も彼らと同じタイプの人物だと思う。本人もそれを自覚していたのか、彼は「ヴィヨンの妻」という作品を残している。このヴィヨンは、泥棒詩人のヴィヨンを指す。

一方、中国では知識人・文化人の作品は、同じような知的エリートが鑑賞者であると意識されていた。このため、大衆に読まれることを意識してはおらず、内容もまた反道徳的・退廃的なものにはならなかった(一方、民間では唐代の遊仙窟など、猥雑な内容の作品は存在していたことにも留意が必要)。

*6 :黄州寒食帖は、アロー戦争において、英仏連合軍が円明園を攻撃した際、略奪されて焼失を免れた。1922年には、日本人菊池晋二の所有となり、このときも1923年の関東大震災によって危うく焼失するところであったが、菊池が身を挺して持ち出したことにより、奇跡的にまたもや焼失を免れた。現在では、台湾の故宮博物館のに所蔵されている。


えもん

えもん 大学では文学部に行きたかった都内IT企業のエンジニアです。
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