中国万事通

開館してまだ4日目、ピカピカの鄭和記念館に入場する(鄭和公園・下/昆明12)

2017/10/04

三宝楼(鄭和公園の見どころ2)

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(鄭和はイスラム教徒。下の扁額「民族之光」の上にアラビア文字が書かれている)

三宝楼は、鄭和公園の一番高いところに建てられている。先ほど記したように、鄭和は三宝太監という役職についていたため、三宝楼と名付けられた。中国の建築には珍しく、基底部が船を模した形になっている。この楼がある場所は、ちょうど船体の中央、マストがある部分に位置する。

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(反対側から見た全景)

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こちらは船でいう先端側だ。ここから北にある昆陽市内や滇池を一望できる。東、南、西はどこも山に囲まれていた。

ちなみに、真ん中に長方形でくり抜かれている部分は、下に貯水槽があった。プールとして活用できるのかもしれない。

この三宝楼の船体の部分は資料閲覧室となっていた。小さな部屋に所狭しと資料が展示されており、充実した内容になっていた。特に、永楽帝が建文帝を南京から追い出した後、南京の鄭和にゆかりある場所をまとめている資料がとても参考になった。南京にある鄭和の墓の場所も示している。

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(南京市内において鄭和にゆかりある場所)

鄭和記念館(鄭和公園の見どころ3)

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三宝楼の資料展示室を出ると、目の前に案内板がある。それに従って歩いていくと、鄭和記念館に到着する。この鄭和記念館、2017年7月11日に開館したばかりだ。僕がこの地を訪れたのが7月15日のため、まだ4日しか経っていないピカピカの建物である。また、この鄭和博物館は、晋寧博物館も兼ねている。

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入場料はタダだった。中は4階建てになっている。1階は大ホールとなっており、壁の両側に鄭和の事績を絵で記録した銅板が飾られている。中国の博物館はどこでも、その土地に関連する事柄を記した銅板が飾られている。よっぽど有名な事件以外は大抵わからないのだが、僕はそれを一つひとつ見て回るのが好きだ。

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(鄭和(右)と永楽帝(左))

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(異国で鄭和一行を歓迎する人々)

では、以下で鄭和記念館の展示エリアを列挙していく。

1F ~遠古天地~

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1F入って右手の部屋では、恐竜の化石が飾られている。パネルの説明を要約すると以下の通りだ。

1987年、昆明の夕陽郷、夕陽小学校に通う小学生が恐竜の化石を発見し、「中国双脊龍」と名付けられた。本格的な発掘調査の後、最終的に13属22種の恐竜の足跡の化石が見つかり、そのうち9割が未発見のものだった。 雲南省のある地域は、ヒマラヤ山脈の東端であり、新期造山帯に属している。新期造山帯は中生代・新生代以降に形成された山脈である。中世代は古い時代から三畳紀・ジュラ紀・白亜紀に分類されている。この三畳紀に、爬虫類から進化した恐竜が誕生したのだ。この雲南省で恐竜の化石が産出するのも頷けることなのである。

また、新期造山帯は石油の他に金・銀・銅といった鉱物も産出する。大陸プレートと海洋プレートのの衝突により、大陸の地下で高温・高圧状態で形成された鉱物が地表から浅い場所に移動するためだ。そして、雲南省の銀を利用したのがモンゴル人王朝の元だった。元が雲南省を支配していた時代には銀の採掘が盛んとなり、元朝の銀の年間収入のうち、8割がこの雲南で採掘された銀だったという。

さらに、大理で産出する大理石やミャンマー・ホーテン(和田)で取れるヒスイも、この造山運動によって地表に上がってきたものだ。

2F ~滇国文明~

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滇池の名の通り、この辺り一帯は滇(てん)国とよばれていた。司馬遷の史記には、滇国は雲南地方で最も強大な国であり、漢が滇王に使者を送ると、王は「滇と漢と、どちらが大きい国か」と尋ねたという記述がある。

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滇池周辺からの出土した装飾品の他には、滇国を治めることを認める金印が展示されていた。これは漢から送られたものだ。日本の博多、志賀島(しかのしま)から出土した金印にとても似ている。福岡と昆陽、距離にして2,800キロも離れた場所にある。しかも、長安から見て雲南は折り重なる山を、日本は荒波の日本海を隔てているにも関わらず、同じようなもの出土した。

King of Na gold seal

(漢倭奴国王印。wikipediaより)

漢、いや、当時の中華帝国の領土(認知している範囲)の広さとその影響力の大きさと改めて驚かされる。ヨーロッパにはローマ帝国が生まれたが、後世ついにその支配領域を覆う大国家は生まれなかった。しかし、中国は違う。幾たびの分裂と統一を繰り返し、ヨーロッパのように国が分かれることはなかった。中国人、特に漢族の、他の人間と土地を支配することに対する執念には改めて驚かされる。そして、鄭和の遠征も、永楽帝が明の威光を天下に示し、朝貢を促すことが目的であるため、ある種の支配欲・顕示欲の表れという文脈で読み取ることができるのである。

3F ~鄭和文化~

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この階では、鄭和の事績を順を追って紹介している。基本的な構成は、鄭和の生まれ育ち、永楽帝に仕えたこと、船を造り、遠征に行った場所、年代、そして持参した交易品が展示してある。

また、マレーシアの鄭和文化館になかった情報で、特に僕が面白いと思ったものを下記に列挙していく。

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これは鄭和の家系である。もちろん鄭和本人は宦官となり去勢されているため、彼の父祖や兄弟がその血を絶やさずにいるのである。昆陽は言うに及ばず、玉渓もまた雲南省内にある。他にはタイにも支系がいるが、どうして南京にもいるかはわからない。南京で活躍した鄭和のもとに、故郷の兄弟が身を寄せたのだろうか。

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これは実際に船を造っている写真だ。前近代において、木材だけでどのように造船できたのかがわかる。このような光景は世界のどこにもなくなってしまっているだろう。

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これはインド西岸部コーチでの漁労の場面を映した写真だ。これは鄭和の艦隊がこの地に辿り着いた時、現地の人はモリで魚を刺して採っていた。その方法が非効率的だと見た鄭和は、故郷の昆陽にある滇池で行わていた網を使って一網打尽にする方法を伝え、村人に感謝されたという。そして、その方法が600年の時を越え、今でもこの地に残っている。コーチではこの方法が伝わったことを記念して、記念碑が建てられているとのことだ。

その他にも、スリランカにあるマンホールが、鄭和の遠征を記念した文章が漢文、アラビア語、ヒンディー語の三つの言語が刻まれた石碑だったなど、鄭和の南海遠征に纏わる面白い話は尽きない。これについては、改めて独立した記事を立ててまとめようと思う。

なお、4階は昆陽に関わりのある他の偉人の紹介と、昆陽市政府の取り組みを紹介した展示だった。また、滇池を望む展望テラスがあり望遠鏡が設置されていたが、雨が降ったり止んだりしていたためか、ガラス扉がロックされており、テラスに出ることはできなかった。

昆陽からバスに乗って昆明に戻る

鄭和公園の観光所要時間は2時間半であった。昆陽から昆明へ戻る電車は22時過ぎのものしかなかったため、バスを使って帰ることにした。流しのタクシーに乗ってバスターミナルへ向かう。通りの名前が鄭和路だったり、永楽大街だったりと、歴史ファンならニヤリとさせられる。

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昆陽駅から来た道と同じ場所を通り、昆陽駅をさらに5分ほど東に進んだところにバスターミナルがあった。

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(昆陽の長距離バスターミナル)

タクシーのメーターが10元と表示されているのに、11元だと言われた。運転手にそれを指摘すると、運転の手数料だという。いぶかしく思いながらも1元のことなので支払った。後に東北地方のハルビンでタクシーに乗ったときもメーターの料金に加えて1元を請求された。中国ではそういうシステムなのだろう。

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バスターミナルの中には、大きめの船の模型が置かれていた。

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チケットを買って手荷物検査を済ませる。バス料金は片道で18元だった。売店でガムを買って待合室の椅子に座る。昆陽から昆明に戻るバスは、6時か7時が最終便らしい。乗車エリアには「鄭和交通」という名前の会社のバスが停まっていた。チケットを見せてバスに乗ると、中は自由席だった。

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17時ごろ、バスは発車した。滇池の東を北上するルートだった。ここに昆玉高速というハイウェイが通っている。渋滞はなかったため、バスはスムーズに進んでいった。90分ほどバスに揺られていると、終点昆明駅に到着した。

降り場は駅の裏である北側だった。こちら側には高速道路が走っているだけで、他には何もない。宿に戻るには地下通路を通って南側に出る必要がある。この日で昆明は最後である。晩飯は何を食おうかなと考えながら、歩いて帰路に着いた。

次の街は南京です!が、その前に、滇池の悲劇の3つ目を紹介します。悲劇のヒントは「靖難の役」と「建文帝」。お楽しみに!

費用(昆陽)

昆陽
◆鄭和公園 → 昆陽バスターミナル(タクシー) ✓費用11元(約180円) ✓所要時間 20分 メーターに反映されない1元は手数料

◆昆陽バスターミナル → 昆明駅 ✓費用18元(約300円) ✓所要時間 90分 電車は本数が少ないため、帰りはバスがおすすめ


えもん

えもん 大学では文学部に行きたかった都内IT企業のエンジニアです。
Twitter: @koneko_mc