中国万事通

鄭和とマラッカ(マレーシア)の意外な関係(鄭和公園・中/昆明11)

2017/10/03

(マレーシア、マラッカにある繁華街ジョンカーウォークの広場。ここはマラッカのチャイナタウンの中心地である。中央の建物には、「鄭和下西洋」から612周年を祝う看板が掲示されている。彼もまた、かつてこの地に立ち寄ったのだった。)

鄭和のバックグラウンド

https://ccculture.net/archives/1094

(この記事は前回の続きです)

鄭和の分遣隊は、なぜアラビア半島のメッカを目指したのか。それは、鄭和の出自に関わってくる。

メッカ、この街はイスラム教の聖地である。イスラム教の経典コーランには、イスラム教徒たるもの、生涯に一度はメッカを訪れなければならないと書かれている。また、メッカを訪れた人は尊敬を込めて「ハッジ」と呼ばれる。ここで、鄭和の父の名前を思い出してほしい。漢字では馬哈只(マハジ)。今から650年ほど前、彼の父はメッカを訪れたのだ。そして、部下をメッカに向かわせた鄭和もまた紛れもなく敬虔なイスラム教徒だったと言えるだろう。

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(昔から繰り返し詠まれてボロボロになったコーラン。紙の外側部分がボロボロになることを想定して、文章が欠けないようにあえて中央に章句が寄せられている)

一説には、鄭和の部下がメッカに訪れたため、鄭和の父、そして祖父に馬哈只という名前を送ったのだと言われている。実際に、歴史上の文章に鄭和の父が登場するのは、鄭和が建てさせた石碑のみだ。昆陽を治める知事であったにも関わらず、父親の本当の名前はわかっていない。しかし、実際に彼の父がメッカに訪れたと考えるほうが、よっぽど面白いではないか。

では、鄭和の父は昆陽からどのルートを通ってメッカに辿り着いたのか。これも三種類ほど可能性があり、一つはベトナムに抜け南シナ海からマラッカ海峡を通ってメッカを目指した説。もう一つは、ミャンマーを抜けてインド洋に出て船で向かった説。最後の一つはシルクロードを通る説で、想像に反して、実はこの可能性が一番低い。

このように、当時のメッカ巡礼ルートを想像するだけでも興味は尽きない。メッカを往復した鄭和の父は、現在は鄭和公園の南側、陽のよく当たる明るい場所に今も眠っている。

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鄭和公園を一周する

鄭和公園は、小さい山を切り開いて作られた場所である。清代のある考証学者が、「鄭和は故郷に石碑を立てた」という記述に基づき、昆陽の地でその石碑を探したところ、実際にこの山の中で見つかった。今では、屋根とガラス扉で石碑を守り、風雨をしのげるようにしている。また、鄭和の事跡を記念してこの山を鄭和公園としたのだ。

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鄭和公園の見どころは三か所ある。一つ目は、鄭和公園の入口からまっすぐ階段を上ったところにある鄭和像。二つ目は三宝楼。一番高いところにあるので、昆陽市内と滇池(てんちの南側を見渡すことができる。二つ目は、2017年7月11日に出来たばかりの鄭和記念館だ。

鄭和像(鄭和公園の見どころ1)

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タクシーに15元を払ってまっすぐ坂を上る。鄭和公園の入場門から北にある滇池(てんち)の方向を向いて写真を撮る。鄭和公園は山を切り開いて作られた場所とあって、なかなか傾斜がきつい。

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門を入って階段を登るが、ここもやはり傾斜がきつい。登りきると息が上がってしまった。

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階段を上った広場の中心には、3メートルはあろうかという立派な鄭和像がある。この鄭和の顔をよく見ると、目は切れ長ではなく丸みを帯び、唇は厚ぼったくて顎が秀でている。人相は、中国南方の人や東南アジアの人物のようだ。

マラッカ(マレーシア)と鄭和の深い関係

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インドネシアやマレーシアにも鄭和を実際に彼がその地を訪れたことを記念する施設がある。中国政府が出資をしているそうだ。僕はこの旅行の1か月前に、マレーシアの鄭和文化館を訪れた。マレーシアにおいて、鄭和は「Cheng Ho」と呼ばれている。

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(マレーシアの鄭和文化館内の胸像「鄭和大将軍」)

同じマラッカでも国立博物館の中庭にある鄭和像はまた容貌が異なる。異国にあって、世界遺産に登録された街の国立博物館に鎮座する中国人、鄭和。彼こそ前近代におけるアジアのグローバル人材だったといえる。

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実際にマラッカには鄭和とかかわりの深い土地がある。艦隊を引き連れてマラッカに立ち寄った鄭和は、水と食料を現地で補給する必要があった。しかし、何万人もの口を潤すほどの水は、当時のマラッカにはなかった。

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(大航海時代以前のマラッカ模型)

マラッカの王は、鄭和たちに「川の上流には清潔な飲み水が汲める場所がある」と伝えたものの、海岸から場所があまりにも離れているため、鄭和はその水を求めなかった。そこで、鄭和は部下に命じてマラッカ周辺で地面が湿っている場所を探させた。そして、地面を掘ってみると、見事飲み水が湧き出てきた。

鄭和たちが水を補給した後も、土地の人はそこを井戸として使うことができる。土地の人たちは鄭和に感謝し、彼の官職名「三宝太監」から、その井戸を「三宝井」と名付けた。今では水は枯れてしまっているが、三宝井は保存されており、マラッカの重要な観光名所の一つとなっている。

次回は、鄭和公園の見どころ、三宝楼と鄭和記念館です!


えもん

えもん 大学では文学部に行きたかった都内IT企業のエンジニアです。
Twitter: @koneko_mc