中国万事通

もう一人の睡美人(滇池・龍王廟/昆明8)

2017/09/29

(白族の民族衣装を着て、記念撮影をするカップル)

滇池を守る龍王廟

このブログでは、昆明にある滇池(てんち)という湖の北岸の観光スポットを、海埂公園 → 西山森林公園・龍門石窟 → 彝族の四道茶の順に紹介している。

https://ccculture.net/archives/424

https://ccculture.net/archives/425

https://ccculture.net/archives/132

しかし、実際に観光したルート上、海埂公園から西山へ向かうロープウェイ乗り場のちょうど隣に龍王廟という中国式の寺院があったので、途中ここに立ち寄った。

この龍王廟、僕が現地で買った雲南省のガイドブックにも載っていなかったため、特に重視していなかった。だが、帰国した後、写真を見返していて初めて、僕は龍王廟がとても重要な寺院であることに気が付いたのだった。

滇池湖岸を歩く

滇池に到着したとき、嵐が滇池を襲っていた。僕は観光にどれくらいの時間がかかるかわからなかったため、雨宿りをせずに嵐の中を西山に向かって進んだ。なるべく濡れないように、湖岸から少し離れているサイクリングロードを歩いていた。まっすぐ伸びた道の両側には木々が植えられており、歩きながらでも少しくらいは雨風をしのぐことができた。

15分ほど歩いたころ、だんだん雨と風が収まってきた。折り畳み傘をリュックにしまいながら、せっかく湖に来たのだから湖岸を歩こうと思い、まだ波が荒れている滇池の淵に向かった。

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湖岸は整備されており、こちらも散歩コースになりそうだ。大きな建物といえば、遊覧船の船着き場くらいで、湖は向こうまで見渡せる。雲が晴れて西山の威容もだんだんはっきりしてきた。ロープウェイまではもう少し歩かなければならない。見る角度によって姿を変える西山を目で楽しみながら進んでいった。

龍王廟の内観

湖岸を西山に向かって歩いていると、広い駐車場に出た。奥には寺院が見える。それが龍王廟だった。50台以上入りそうな駐車場には、嵐のためか車は数台しか止まっていない。前の報ではおじさん3人のグループが廟に向かって歩いていたので、僕も同じ方向へ向かう。

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綺麗に整備された立派な建物だ。入口の両側の柱には対聯(ついれん)が掛けられている。

近くに掲示されていた龍王廟の説明を読む。

龍王廟は、明末清初に、五穀豊穣、天候が荒れないこと、天下泰平を祈念して建造された、300年ほどの歴史を持つ廟である。毎年春節の3月3日は、魚を捕り始める「海開き」の重要な祝いの日である。この地の老若男女は、滇池のほとりで明かりを灯し、爆竹を鳴らし、船を出して大漁を祈る大きな祭りが催される。官渡、呈貢、昆明、海口など、付近の町からも多くの人々が訪れた。

もともと龍王廟は、大きくて広い廟であったが、年月とともに荒れ果ててしまい、元の建物もなくなっていた。中華民国のとき、土地を整備して武器庫とされてしまったが、その後、清代に流行した四合院(しごういん)の様式で2010年に再建された。」

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中に入ってみると、四合院様式であるので、中庭を取り囲むように四方に建物がある。どの建物の入口にも、違った対聯が掛けられている。中国の寺院の対聯は、漢文がベースである上に、基本的に字数が多く、また土地に根差した見慣れない固有名詞も含まれているため、理解するのは難しい。しかし、入口から左手の建物の対聯は、僕でも理解できるものだったので写真に収めた。

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**雲満西山鶴一峰 水帰滇池龍一丈**
この写真を撮ったときは、たしかに、さっきの嵐で雲、霧は西山を覆っていた。滇池も水が豊かな湖だ。最初の「鶴一峰」と「龍一丈」で、鶴と龍の対比があるな、くらいに思っていた。しかし、この「水帰滇池龍一丈」にはさらなる意味が込められていたことを、その後僕は知るのだった。 ## 滇池誕生の伝説 西山景観地区の観光を終えた後、「釣り・遊泳禁止」の看板の隣で、3メートルはあろうかという竿で釣りをしているおじいさんたちを眺めながら、雨の上がった滇池の湖岸沿いをゆっくり歩いた。すると、滇池と大書された岩を見つけた。これは滇池到着時に見つけた岩とは違っており、石板に文章が刻んである。

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滇池誕生の伝説がそこに書かれていたので、少し長くなるが大まかに訳してみた。

昔、昆明一帯には湖も池も、小川もなかった。土地は広大ではあったものの土壌は貧しく、この地の人は食うや食わずの生活が続いていた。そのうち、一滴も雨が降らなくなってしまった。そこである狩人の青年が、昆明の人々のために立ち上がり、妻とまだ幼い子どもを置いて、水源を探す旅に出た。数年後、青年はついに東海に辿り着いた。

すると、一匹の鷹が海面から小さな赤い魚を捕まえているではないか。青年は大弓で鷹を射抜き、赤い魚を助けた。なんと、この魚は東海の龍王の娘だった!龍王は青年を武に秀でている男とみて、娘を彼に与えようとした。しかし、青年はありがたく思いつつもそれを断った。そこで、龍王はこの青年を黄色い龍に変身させてしまった。

龍となった狩人の青年は、妻子と故郷への想いを忘れていなかった。ある日、龍王の隙を見て、東海の水を大量に吸い込み、昆明に飛んで帰ってきた。ところが、妻と子供は悲嘆に暮れた末に、既に亡くなっており、睡美人山と化していた。龍となった青年は嘆き悲しみ、腹の中の海水を全部吐き出した後、山に頭を打ち付けて死んでしまった。

滇池は、彼が吐き出した東海の水が元となって出来た湖だった。それ以来、昆明は水に豊む美しい土地となったのであった。 さて、龍王廟の対聯をもう一度ここに記す。

**雲満西山鶴一峰 水帰滇池龍一丈**

ここの廟は、なぜ龍王廟という名前なのか。この対聯の龍はどんな存在だったのか。それは、滇池誕生の伝説の中で、水場を探してこの地を旅だった青年が化した龍を祀る廟だったのだ。この二つが繋がったとき、特に重視していなかった龍王廟の存在が、僕の中で輝きだしたのだった。

あとがき

実は、「昆明の女性が亡くなって睡美人山となる」という話のバリエーションは他にも数種類あるようだ。

https://ccculture.net/archives/425

また、龍門石窟の話を含めても、昆明という土地は龍に纏わる悲劇が多い。他には何かないかと考えていたら、さらにもう一つ思い当たった。ある皇帝の悲劇である。

龍は全ての動物の上に立つ存在であるため、古代中国では、龍のモチーフは皇帝だけが使うことができた。例えば、龍の刺繍のある服は皇帝しか着ることができない。龍と皇帝は共に神聖な存在であり、時に同一視されるほど互いに関りが深い。

悲劇の皇帝の名は建文帝。明代初期の皇帝だ。彼の話は次に続く昆陽の紹介をした後に、ここに披露することにする。


えもん

えもん 大学では文学部に行きたかった都内IT企業のエンジニアです。
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